都市計画演習

【2021年度6班】レインブーツ&スターリースカイ

班員:齊藤 脩,田村 侑介,遠藤 友咲,国松 みなみ,笹木 重聖,高山 飛勇吾,鳩貝 優太 (指導教員:松原 康介,TA:井尻 俊介)

課題

1963 年に、東京の過密対策と高水準の研究・教育を行うための拠点の形成を目的に、筑波研究学園都市の建設が閣議決定された。筑波研究学園都市の生活を記録する会編纂の『長ぐつと星空』では建設当時の筑波研究学園都市住民の生活が記録されている。その中で度々見受けられた、筑波研究学園都市建設以前からこの地域に住む「旧住民」と建設後に移住した「新住民」の不和に関する記録。筑波研究学園都市の建設は如何にして行われたのか。異例の国家プロジェクトを前に新旧住民らは何を思ったのか。本研究は住民たちの視点から学園都市建設の歴史を探る、これまでにないアーカイブ化の試みである。

図1 『長ぐつと星空』

 

表 1 筑波研究学園都市関連年表(一部抜粋)

 

データ

文献調査
冒頭に提示した『長ぐつと星空』全六巻に加え、筑波研究学園都市建設に関わる様々な文献を調査し、「筑波研究学園都市の建設経緯」「住民の証言」を調査した。また、インターネット上の資料や、写真・動画資料も収集・分析を行った。
本年表ではいくつかの文献で見受けられたように、筑波研究学園都市の建設を以下の三つの段階に分けた。
「建設期」(1963年~1980年) 筑波研究学園都市建設の閣議決定から当初予定されていた43機関の移転完了まで
「整備期」(1981年~1987年) 都市機能が整備されていった時期。つくば市発足までを指す。筑波科学万博開催をはじめ、様々な出来事が起こった。
「発展期」(1988年~現在) つくば市発足以降、現在に至るまで。TX開通などが含まれ、研究学園や周辺地域の発展がめざましい。
年表作成
筑波研究学園都市の建設経緯を把握するため、収集した文献をもとに、筑波研究学園都市の建設に関する詳細な年表を作成した。
聞き取り調査
文献から収集した住民の証言の他に、これまで収集されてこなかった地元住民の証言を「オーラルヒストリー(口述歴史)」としてアーカイブ化するために、筑波地域の各集落の住民に対して聞き取り調査を行った。
調査では作成した年表や写真資料をご覧になって当時の状況を思い出していただきながら、以下に関する証言を収集した。
①学園都市建設にあたっての心境の変化
②学園都市建設に伴っての地区の変化
③学園都市と地区の今に至るまでのつながり
④新旧住民の交流

 

分析

筑波研究学園都市は1961年に東京の一極集中是正と研究・教育施設の集約を目的に閣議決定された「研究学園都市」構想の実現のために、1963年に建設が決定された。このことについて、以前から筑波地域に暮らす住民は「期待半分、不安半分」「『田園都市』というスローガンを聞いて自然あふれる都市が作られると思った」という感想を抱いていた。
70年代から実際に建設が進んでいき、新住民の入居が始まるとその期待に反し、「新住民に対するコンプレックス」ともとれる発言や、「『我々インディアンは……』」と自虐的な発言が聞かれるようになる。また、学園都市の建設によって「生活が不便になった」という証言も得られた。
一方で、新旧住民の交流については、「PTAやまつりで交流が生まれていた」という声や、「仕事で学園都市、新住民と関わりがあった」という声も聞かれた。

結果

調査結果について、我々は三つの視点から筑波研究学園都市の建設と住民たちの思いを考察した。

『田園都市』という単語から見る都市の理想化

筑波研究学園都市を表現する時にしばしば用いられる「田園都市」という単語は、1963年の閣議決定時点では構想に無い。調査の結果、この単語は桜村村長藤沢勘兵衛をはじめ、住民たちの間から上がったもので、1970年の筑波研究学園都市建設法で初めて公式の文言として取り入れられたことが分かった。このようにボトムアップ式に取り入れられた「田園都市」という単語には住民たちの新都市への期待が感じられ、都市の実態がこれに反したことが住民たちに「失望」を与える結果となったのではないか。

図2 藤沢勘兵衛銅像(つくば市内)

筑波研究学園都市建設による地域構造の変化

「学園都市建設によって生活が不便になった」という証言は一般的な発想に矛盾する。分析を行ったところ、学園都市建設によって住民たちの生活道路であった街道が失われていたことが分かった。また、車の通行に適した道路は徒歩での往来を難しくした。こうした都市建設による地域構造の変化が住民たちに「住みにくさ」を与えたのではないか。

図3 研究学園都市建設によって失われた街道(ピンク色の線が旧街道)

自発的に生まれた新旧住民の交流

『長ぐつと星空』では新旧住民の対立と共に、協調の話題も多い。こうした相反する記述について分析を行ったところ、当初は対立していた新旧住民が、お互いの交流機会を積極的に興すことで打ち解けていったことが分かった。例えば団地での朝市やさくら祭りなどは交流の場になっていた。こうした活動は現代の「まちづくり」にも通じるものであり、当時としては先進的な活動だと言える。

図4 桜村朝市の様子(『長ぐつと星空 第二部』より)

提言

本調査から明らかになったのは、筑波研究学園都市は紆余曲折を経て建設がなされ、その段階では人々の様々な思惑が錯綜し、理想が肥大し、計画が当初の形から歪んでいったこと。さらには研究学園都市の建設が地域社会の構造そのものをも大きく変えたという事実が明らかになった。こういった種々の変化に対して旧住民は生きにくさを感じ、新住民も戸惑いを覚えたのではないか。

様々な困難を抱えた住民は一方で、それを乗り越えようという取り組みも盛んにおこなわれていたことが分かった。全く新しい都市にコミュニティはなく、住民は困惑した。それでも新たな活動を自分たちで興すことで交流を生み出した。

前世紀から活発に議論されてきた都市計画の理論は「機能的な都市を作る」「住みよい構造の街を作る」ことを主だった目的としていた。しかしその理論に従って建設された筑波研究学園都市の顛末を見れば、そこには欠けている視点があったことを認め、「人々が生きる都市を作る」という視点を加えねばならない。

レファレンス

[1] 筑波研究学園都市の生活を記録する会,『長ぐつと星空 第一部』,筑波書林,1981
[2] 筑波研究学園都市の生活を記録する会,『長ぐつと星空 第二部』,筑波書林,1981
[3] 筑波研究学園都市の生活を記録する会,『長ぐつと星空 第三部』,筑波書林,1981
[4] 筑波研究学園都市の生活を記録する会,『続・長ぐつと星空 上』,筑波書林,1985
[5] 筑波研究学園都市の生活を記録する会,『続・長ぐつと星空 中』,筑波書林,1985
[6] 筑波研究学園都市の生活を記録する会,『続・長ぐつと星空 下』,筑波書林,1985
[7] 三井康壽,『筑波研究学園都市論』,鹿島出版会,2015
[8] 久保田治夫,『筑波研究学園都市』,筑波書林,1981
[9] 学園都市問題研究会,『筑波研究学園都市』,大月書店,1985
[10] 早川公,『まちづくりのエスノグラフィ:《つくば》を織り合わせる人類学的実践』,春風社,2018
[11] 安部奎輔,『藤沢勘兵衛と研究学園都市の概成』,STEP,1995
[12] 堀口純子,『筑波研究学園都市における新旧住民のアクセント』,2011
[13] NPO法人つくば建築研究会,『つくば建築フォトファイル』,NPO法人つくば建築研究会,2005
[14] 筑波研究学園都市施設記録写真集刊行委員会,『写真集筑波研究学園都市:建築の記録』,日本建築学会,1982
[15] 常陽新聞社企画室,『つくば30年 101人の証言 つくば実験/情熱劇場』,1996
[16] 藤沢勘兵衛,『勘翁自傳 : 八十五歳のうは言』,勘翁自傳刊行委員会,1990,
[17] 磯崎新,『建築のパフォーマンス : <つくばセンタービル>論争』,PARCO出版局,1987
[18] 饗庭伸,『平成都市計画史 : 転換期の30年間が残したもの・受け継ぐもの』,花伝社,2021
[19] “住宅都市整備公団,日本都市建築学会”,『文化は都市を刺激する〈上〉』,プロセスアーキテクチュア ,1995
[20] “住宅都市整備公団,日本都市建築学会”,『文化は都市を刺激する〈下〉』,プロセスアーキテクチュア,1996
[21]国土交通省,『筑波研究学園都市の歴史にみる都市づくりのあり方』, https://www.mlit.go.jp/kokudokeikaku/iten/onlinelecture/lec128.html,2021/12/17閲覧
[22]一般財団法人総合科学研究機構,『目で見るつくばの歴史』, https://www.cross.or.jp/pdf/TsukubanoRekishi/Medemiru-Tsukubanougoki.pdf,2021/12/17閲覧
[23]”土肥 博至, 若林 時郎”,『筑波研究学園都市における住民の生活と意識の変容について』, https://www.jstage.jst.go.jp/article/journalcpij/23/0/23_337/_article/-char/ja,2021/12/17閲覧
[24]北条ふれあい館,『北条ふれあい館』, http://www.tsukuba-hojo.jp/06fureaikan/index.html,2021/12/17閲覧
[25]国土技術政策総合研究所,『筑波研究学園都市の現状と諸課題にみる都市形成過程上の問題』, http://www.nilim.go.jp/lab/bcg/siryou/tnn/tnn0815.htm,2021/12/17閲覧
[26]国土交通省,『国土交通省マスタープランについて』, https://www.mlit.go.jp/crd/daisei/tsukuba/data/001.html,2021/12/17閲覧
[27]国土交通省,『筑波研究学園都市』, https://www.mlit.go.jp/crd/daisei/tsukuba/index.html,2021/12/17閲覧
[28]国立環境研究所,『筑波研究学園都市の景観変化の記録(1980、1991、2006、2021)』, https://www.nies.go.jp/social/keikan/index.html,2021/12/17閲覧
[29]つくばハウジング研究会,『筑波研究学園都市 年表』, https://www.tsukuba-housing.org/thistory/nenpyo/nenpyo.pdf,2021/12/17閲覧
[30]YouTube,『ACCSスペシャル 昭和41年~47年頃のつくば』, https://www.youtube.com/watch?v=c6yG5jYEx9g,2021/12/17閲覧
[31]YouTube,『ACCSアーカイブ(研究学園都市今昔25年)』, https://www.youtube.com/watch?v=1QIDiH7xhcg&t=293s,2021/12/17閲覧
[32]YouTube,『茨城県映画『EXPO’85 科学の祭典』(1985年(昭和60年度)制作)  つくば科学万博 ’85』, https://www.youtube.com/watch?v=4Ixq9s2iDr0,2021/12/17閲覧
[33]YouTube,『ACCSアーカイブ(研究・学園都市を作る)』, https://www.youtube.com/watch?v=r7rsQyGQVyc,2021/12/17閲覧
[34]YouTube,『茨城県映画『未来をひらく都市-筑波研究学園都市-』(1981年(昭和56年度)制作)▼』, https://www.youtube.com/watch?v=H8GEAPcXHVY,2021/12/17閲覧
[35]YouTube,『北条とつくば道 郷愁の1980年代の町なみ1』, https://www.youtube.com/watch?v=jOjTD7J1_4c,2021/12/17閲覧
[36]津島軽便堂写真館,『筑波鉄道+ケーブルカー』, http://tsushima-keibendo.a.la9.jp/tsukuba/tsukuba.html,2021/12/17閲覧
[37]red50kei ローカル私鉄と国鉄,『筑波鉄道 廃線後 比較写真』, https://red50kei.skr.jp/tukuba/tukuba-hosoku.html,2021/12/17閲覧
[38]桜井 武雄,『茨城県下の田園都市運動について』,https://www.jstage.jst.go.jp/article/arp1982/6/2/6_2_42/_article/-char/ja/,2021/12/17閲覧
[39]長島 弘道,『農村の生活環境整備と集落――茨城県における田園都市建設事業を事例として――』,
https://kokushikan.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=6907&item_no=1&page_id=13&block_id=21,2021/12/17
[40]住宅生産振興財団,『家とまちなみ』「まちなみ図譜・文献逍遥 其ノ七 『田園都市』」,2007,56巻p66-71
[41]村上暁信,『明治期の内務省地方局におけるハワード”Garden City”論の受容に関する研究』,1999,農村計画論文集18巻p13-18
[42]ル・コルビュジェ著,吉岡隆正訳,『建築をめざして 第14版』,鹿島出版会,1979